“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

なぜ、この業界から人が逃げていくのか?

テレビ業界は、沈みゆく巨船なのか・・・

 

東スポWebにこのような情報がありました

 

www.msn.com

 

早期退職を募集しているので、実力や自信のある方から抜けていくのは仕方ないと思います。

 

ところが、転職先は配信業界、つまり配信する手法がテレビの地上波ではなく、オンライン業界に転職する人が多いのではないか?という見立てなのですね。

 

テレビやネットなどお笑い界を取り巻く環境の変化の話題となり、東野は「純粋にお笑い番組を今地上波でやってるかって言ったら、なかなか厳しいやん。なら、ユーチューブとか、ネットフリックスやアマゾンプライムになっちゃうってところがある」と指摘。

 

なぜ、ネット業界ではできて、地上波業界のテレビ局ではできないのか?

 

素人の考えでも、

・地上波は総務省管轄で規制があるので、倫理規程などが厳しい

・スポンサーの力が絶対なので、世間のマイナスな反応は許されない

・テレビのスイッチを入れれば老若男女、誰でも見ることができから、せいぜい時間ぐらいでしかコンテンツの差異をつけられない

 

⇨ゆえに、“攻めた”作品は作りづらく、結果として常識にのっぺりとしたものしかできない

 

その観点から見れば、制作する側は世間の常識のキワ、ギリギリを狙うような苦労をしなければいけない、しかも、キワを超えて一旦炎上すると取り返しがつかない。

 

そうならざる得ないわけですね・・・

これは才能のある人ほど、辞めたくなってしまうのも無理ないでしょう

 

そのような様子を見て、ドゥルーズ「社会公理系」という概念を想起します。

 

人間は欲望の機械と言って良いほど、自らの欲望を満たそうとします。

しかし、それでは生き残りをかけたバトルロワイヤルのような状況になってしまいます。

そうならないために暗黙のルールが作られていきます。

それが「社会公理系」です。

 

それは法律などに明文化されることもあれば、村のしきたりのように暗黙の了解で存在したりすることもあります。

皆の欲望をコントロールするために、「社会公理系」は変化していく。

そのことが規制される側としては、非常に厳しい。

作品を作って、世に出したあと、「これはダメだ」と非難される可能性があるからです。

 

昨今の過去のセクハラを糾弾される「me too」事案も同じなのでしょう。

今の価値基準や倫理により断罪されています。

あの当時はOKだったのに・・・という言い訳は効かない。

当時の雰囲気に寄りかかっていた人は生きた心地がしないでしょうね・・・

 

テレビ業界の話に戻れば、規制産業やスポンサーの話もありますが、本質的には「社会公理系」に縛られているため、窮屈すぎて仕方ないし、「社会公理系」に従ってのっぺりとしたコンテンツばかりを作っていれば、自然と誰も見なくなる。

 

悪循環の渦中にいるように見えてきます。

 

これはテレビ業界に限った話ではなく、新聞業界など従来のメディアは同様なのだろうと思います。

 

「社会公理系」を逃れるためには、遊牧民のように新たな牧草地を目指していくしかありません。

しかし、当然ながら、YouTubeなどのオンラインメディアもNetflixのようなオンラインコンテンツも「社会公理系」が充満しレくれば、いずれ規制が入り、つまらなくなります。

そうすれば、また新たな牧草地を目指すしかなくなる。

 

それは見えている人は次なる牧草地、リアルに戻った会員制ライブ型なのか、あるいはメタバースなのか、に新たな土台を作りにいくのだろうな、ということが見えてきますね。

 

世間を騒がす炎上案件が「社会公理系」の侵入の合図かもしれません。

 

今後、引き続き、よく観察していこうと思います。

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