“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

松下幸之助翁はデコードの天才

おはようございます。

 

西洋哲学の観点から、松下幸之助翁の本を探究しています。

 

そうした観点から読むと、実に面白い見方ができます。

 

松下翁は、デコードの天才だったのだな、と気づくことになりました。

 

楽観よし悲観よし。
悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

 

例えば、こちらの名言。

楽観もいいけど、悲観もいいものだよ。

と言っています。

 

悲観はなんとなくネガティブなイメージがありますよね。

できれば避けたいというか。

 

でも、悲観することで見出せることもあるので、悪いものではない。

 

まずは悲観というものをデコードして、「いいものだ」としている。

とても自然に視点を変え、思考を変えてもらえますよね。

 

そして、まだ先があるのです。

 

楽観にも悲観にも道がある、と。

ここは解釈ですが、わざわざ同じ「道」という言葉を使っているということは、おそらくどちらにも共通するもの、統合する意味で「道」なのだろうと思います。

 

つまり、楽観と悲観を二項対立させて、そのジンテーゼが道なのでしょう。

 

この道に立てば、楽観も悲観も選べる、ということになるでしょうか。

 

この道のポジションに立てば、楽観も悲観も下位の概念として扱うことができます。

 

おそらく楽観で判断を危うくすることも、悲観で危機を逃すこともなくなるでしょう。

それは、楽観も悲観もそれそのものを扱わず、道という上位の概念、枠組みから捉えることができるからです。

 

好況もいいけど、不況もまたいい

 

という言葉も、デコードしていますよね。

経済というものをデコードしています。

 

この、さりげない、大衆の認識が偏ったものをサッと反転させて、気がつくと上位概念に導いている、このデコードする力、そして、それを伝える力が凄まじいと思いました。

 

相手の話の何を聞くか、どこを観るか?という点からも大変参考になります。

天才は哲学者と同じ思考の営みをしているのかもしれませんね。

その背景としては“私”がいないから突き放せるのかもしれませんね。

 

また名言で気づきがあったら、紹介します。

 

Todd MacDonaldによるPixabayからの画像