中国古典の気になるところ
とある課題図書でこちらの本を読まされて読んでいます。
(それに影響されてこちらの更新頻度も下がっています^^;)
中国古典の講義形式といえば、安岡正篤さんのものが多かったのですが、この本はそれ以上に面白かったのでオススメです。
面白かったのは、
・一つの見方ではなく、朱子や王陽明、そして、様々な著者の読み方を横断的に考えていて視点が多い
・現代に引き寄せて考えているので理解しやすい
という点でした。
しかし……
西洋哲学の観点から眺めると、少し物足りない感じはします。
中国古典は過去が正解、なんですね。
それをいかに読み解くか、読み取るか。
なんで、それが正解だといえるの?
と問うても、過去の聖人君主がそうしたらうまくいっていたらから、平和だったから、としか書かれていません。
国を治めるには、家を治める必要があり、
家を治めるには、個人を治める必要がある
おお!なるほど!
と思う反面、それは当たり前ではないか……
とも思ってしまいます。
西洋哲学は抜け漏れはありながら、未来に向けてアップデートしていくが、
東洋哲学(中国古典)は、過去の聖人君主の経験からみてこれが正解!だから、これを参考書に現代を生きなさい
という感じなんですね。
なので、わかったような、わからないような……となってしまいます。
一つの指針としては参考になると思います。
ただ、これからの変化の激しい現代にそのまま活かせるかは、なかなか厳しいのではないでしょうか。
古典に(たまに)帰省し、人間を省みる。
そのように私はいかさせてもらおうと思います。