“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

”他者”に委ねてはいけないもの

高城剛さんのメルマガ 高城未来研究所 『Future Report』を購読しているのですが、Vol.571の読者とのQ&Aを読んでいてハッとさせられました。

 

以下引用します。

 

▽Q.6▼▽
この世の多くの人は、皆、幸せを求めています。
それがお金の人もいれば、仕事の人も宗教の人もいると思います。
でも、いったい幸せとはなんなのでしょうか?
世の中には、幸福論も数多く語られていますが、高城さんが考える 「幸せ」を教えてください。

【 A 】
僕は脳の報酬系を他人に握られないようにと、よく注意を促します 。
SNSからゲームに至るまで、プラットフォーマーは脳の報酬系に ハックし、ドーパミンを出し続けてやめられないようにするのを設 計の基本にしている
というより、突き詰めると結果的にそうなりました。
このようなインスタントな幸せ=ドーパミンは、神経伝達物質的に 見ると糖やコカインなどのドラッグと同じで、一時的な「幸せ」 を感じることができても長続きしません。
ですので、やめられなくなる=ドーパミン中毒に陥ってしまうので す。
そこでセロトニンです。
ハイパフォーマンス心理学者のマイケル・ジャーベイスは「セロトニンの放出は、フローがはじまったというシグナルなのではなく、 最終段階に来たというシグナルなのです」と話しています。
つまり、なにかに無心で取り組み、我を忘れた時に出るセロトニン こそ、人間の本質的「幸せ」だと考えます。
そのためのベースととなるのが、心身ともに健康であることに他な りません。
朝、目覚ましをかけなくとも起き、我を忘れるほど創造的になにか にとりくみ、少しだけ夕食を食べ、早めに就寝する。
ここには、お金も評価もありませんが、僕にとっては幸せを感じる 1日です。
日中、セロトニン出まくりですから。

 

後半のセロトニンの話も大事になのですが、気になるのは前半のドーパミンの話です。

 

プラットフォーマー報酬系を支配することで、ドーパミンを出し続け、中毒状態に導いていく・・・

 

おそらく、ゲーム、特にインストール無料のソーシャル系ゲームだったり、課金ガチャ系の大半はそれで成り立っているのでしょう。

それは様々な課金問題などから明らかです。

 

ふと、哲学的観点から気になったのは、気がつくと自分で自分を監視することにフーコーの提唱したパノプティコンも、脳科学的に考えると同じ原理で成り立っているのではないか?

 

と考えました。

 

パノプティコンは看取は見える、囚人は見えない、という仮想的な牢獄で

 

パノプティコン - Wikipedia

 

看守は囚人が悪事をしているのを発見したら罰する

 

としていると、囚人は自然と自分で自分を監視し、矯正されていく

 

という概念です。

 

現代社会をまさに表しているので、私は好んで探究しているのですが、今回の内容からも同じことを言えるのだろうか、と思いました。

 

ドーパミンを放出する権利を他者に委ねていないか?

 

看守は囚人を罰することで矯正しましたが、逆に考えると、看守から適度に快楽を与えられていくと、囚人はそればっかりしかしなくなるようになるのではないかと。

 

ゲームという監獄に入れられ、五感を使って没頭させられ、気がつくと、快楽を与えられ中毒になっている。

 

私自身、メタバース研究がてらFortniteをプレイしていますが、まさに計算されたかのような小刻みな報酬があり、没頭させられているという危うさも並行して感じています。

 

日常の中でなんだかよくわからないけど続けているようなものがあれば、一旦は

 

「監獄に入れられて快楽を与えられ続けていないか?」

 

と疑ってみることが大事です。

 

認識すれば、それを続けることも、やめることもできる可能性が高まるでしょう。

 

サブスク系もそうですが、継続しての使用がビジネスになっているものは大半はこの概念が何かしら組み込まれていると思いますので、まずは疑ってかかって、仕組みを理解しましょう。

 

報酬系を安易に他者に委ねてはいけない、と認識したのでした。

 

mohamed HassanによるPixabayからの画像