“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

モチベーションは本当に大事なのか?

“てらぽん”です。

 

本業は企業のマネジャーをしているのですが、ここ数年で良く聞く単語があります。

 

それは”モチベーション”という言葉。

 

モチベーションが上がる

 

あるいは

 

モチベーションが下がる

 

などと使われることが多いですね。

 

観察していると、

 

意義や目的に対して合意が得られた場合は、

「モチベーションが上がる」

ことがあり、

 

反対に、

 

意義や目的が不明確だったり有意義に感じられず、

「モチベーションが下がる」

ようです。

 

意義や目的を合意することでモチベーションが上がる

 

と仮定するとして、改めてモチベーションとはなんでしょうか?

 

私は、モチベーションは、幽霊だと考えます。

 

モチベーションとは何か?

そう問うてみた時に、言ったもん勝ちになっていた古代哲学の世界に挑んだソクラテスの話を思い出します。

 

「それ、そのものを見せてくれ」

 

愛や知など、多様な解釈が生まれる言葉はあれど、実体のない言葉たち。

幽霊のようなものです。

 

それについて、古代の哲学者は言葉を尽くして、語ろうとします

しかし、ソクラテスは「説明はいいから、それそのものを見せてくれ」と

 

そのようなものは百万遍の言葉を尽くしても、結局、実体はないわけですね。

つまり、言葉はあれど、中身はない。

ということをソクラテスは知らしめたわけですね。

 

モチベーションに戻ります。

意義や目的への合意したら上がり下がりするもの、といい加減に定義しましたが、それが正解でも、不正解でもないわけです。

 

そう考えると、よくわからないものに一喜一憂しているものだ、ということが見えてきます。

 

別にモチベーションに限った話ではありません。

ミッションにしても、パーパスにしても、実体はありません。

あとは、その意味などを関わる人と合意した意味で機能的に使えるか、ですが・・・

 

いずれにしても思うのは、モチベーションなど実体のない幽霊のような言葉に取り憑かれてはいけない、選択肢を奪われてはいけないと考えます。

 

モチベーションに、行動を紐つけないこと、思考を縛られないこと。

 

それが大事になるのではないでしょうか。