“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

なぜ、目立ちたい人はダイエットするのか?

記事は世相を観ながら、不定期になります。

 

一発屋の芸人、あるいは少し落ち目下がり目になってきた話題の方などがよく「ダイエットして、華麗に復活!」という広告めいた記事をよく見ます。

 

ライザップなど、それを商売にしている企業の広告なので、それはそれでよいのですが、いくつか疑問は湧きます。

 

なぜ、ダイエットなのか?

なぜ、その人は体重が増しているのか?

なぜ、“落ち目”的な人なのか?

 

そして、

 

それが、我々に何を訴えているのか?

 

です。

 

news.yahoo.co.jp

 

痩せることに、どんな意味が埋め込まれているのでしょう?

 

想起するのは、バタイユの『消尽』という概念です。

 

死という人間本人とっては未知の経験であり、それゆえ、魔力のような魅力を持っている。しかしながら、生きながらにして、経験することはできません。

 

死を経験したい

しかし、生きていることはできない

 

では、どうするか?

 

そこで人間は消費します。

特に浪費のエネルギーは強い。

 

浪費することで、死の代理体験をし、快楽を得ようとするのですね。

あるいは、不倫など社会的に非難され、社会的に抹殺されることも死の体験に繋がります。

 

ダイエットするにはダイエットする体、つまり余剰を抱える体が必要です。

体重計に乗り、そして、愕然とする体重の値・・・ここで自分の中で何かが壊れるのを感じます。

その数値に嫌だ、と思いながらも、何か魅惑的な感覚があるはずです。

 

そして、これ以上、体重を増やしたくないと思いながら、また、過剰に摂取してしまう・・・その結果、ダイエットすべき体が出来上がります。

 

そして、ダイエットすることで、今度は「太ってしまった自分」を破壊することに快楽を感じます。

 

太っては快楽し、痩せることで快楽する。

その様子をニュースで見ることで、体重超過を薄々感じている人も自分の中で痛みを感じることでしょう。

 

「自分も痩せなきゃ・・・」

 

その結果、痩せることにコミットするところに行ったり、ダイエット食品に向かったりすることになります。

 

つまり、死の代理体験が連鎖して経済が回ることになりますね。

 

”落ち目”的な人は、”落ち目”的だった自分を壊すことになり、話題にも上がりやすくなるので、本人にとってもメリットがあるのでしょう。

 

なぜ、ダイエットするのか?そして、それが記事になるのか?

 

本人

ダイエット関連のビジネス

見ることで痛みを感じながらもそこに快楽を得る読者

 

これらの連携プレイゆえ記事ができることが見えてきました。

 

話題になるには裏がある。

 

興味深い記事でした。

 

ダイエット