悲しみを生み出すのは誰だろう……
目的と方法の取り違えが悲劇をつくるな・・・と思わされたニュースがありました。
部活のトラブルといえば運動系、というバイアスがあるのに気づいたのですが、部活なのに過労死ラインというアンマッチが、この異常さを浮き彫りにしています。
何が起きていたのかは当事者でないとわからないのですが、このことを具体事例として、運動部のトラブルなどから抽象化していくと、
部活をすること自体の目的化
ということが一つ見えてくるのかと思います。
そして、目的を設定するのは往々にして大人たちです。
最近は、子どもたちが自ら設定するケースも増えていると思いますが、それでもやはり全国大会、それにつながる地域大会などを設定するのは大人でしょう。
その部活動に送り出すのも大人だし、そのような活動を許可するのも大人。
止めることが出来たのも大人。
〇〇大会優勝などという目標はシンプルでわかりやすく、皆の思いは向けやすい。
でも、あくまでそれは目標であって、目的ではない。
活動を通じて、心身の成長を養う、能力の開発、可能性を開く、そして、人生をより豊かにすることが目的なのだろうと思います。
その目的に立てば、練習時間の制限であったり、科学的な練習方法を持ち込むなり、様々な方法は見えてきます。
方法は無限なので・・・
異常に気づき、状況を俯瞰し、方法を練り直すことができるのも大人の役目だと思います。
願わくば、部活動自体を俯瞰して、アドバイスできるような立場の人が必要なんだろうなぁと思います。
この活動の目的は?
その目的の目的は?
を常に問い直していく機会がありますね。
そうでなければ、活動システム、構造の中に組み込まれてしまいますから・・・