“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

人と比較してはダメ…は駄目じゃないかも

新学年が始まって、少し落ち着いてきたのか、体育の授業は運動能力測定が合っているようです。

 

子どもたちから、

 

「身体測定、〇〇君に50m走で負けるから嫌だなぁー」

 

などと聞きます。

 

これまでは、

 

「人と比較してはダメだよ。過去の自分からどうなったかを見たらいい」

と伝えていましたが、ふと、それは一面違うのではないか?

と湧いてきました。

 

ソシュールによると、言葉の意味は、それ以外で決まるもの。

差異があって意味が生じます。

だから、いくら自分を探しても自分は見つからず、取り巻く環境、関わる人の存在により自分を知ることができるのです。

 

だとするならば、

 

他者と比較することで、自分が見えてきます

 

シンプルに考えれば、それはそうですよね。

 

一人だけ50m走の記録をとっても、それが速いのか、遅いのかもわからない。

それがわからなければ、もっとトレーニングしたほうがいいのかどうかも分かりません。

 

なので、比較は積極的にすべきものである、と気づきました。

 

ただし、それを踏まえての良し悪しの評価はやめたほうがいいでしょう。

ただただ、結果を見る、結果の位置付けをみる。

そして、向かいたい方向に努力をする。

 

だから、今後は、子どもたちについては、

 

・比較することで、自分の体力や筋力のレベルを確認できる大事な機会だよ

・だけど、その結果に対して優れているとか劣っているとか評価をするのは時間の無駄だよ

・他の人の結果で、自分もそこまで伸ばしたい!と思ったら、一緒にトレーニングを考えよう

 

と伝えたいと思います。

 

これは大人の世界も同じですね。

 

現状を知り、行きたいところがわかれば、あとはその現状からゴールに向かう構造に乗っかって取り組むだけです。

邪魔するのは、評価する自意識です。

そんなものは捨ててしまいましょう。時間泥棒なので。

 

こちらの本は参考になると思います。