“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

こうして世論は捏造されていく。そして、さらにノッペリとした国に

気になるニュースがありました。

 

テレビ放送からみで

 

www.sankei.com

 

要は合意しているといえど痛みや嫌なことをさせて笑いを取ったり、予告なしにドッキリさせることで笑いをとるのはいかがなものか?

 

と、BPOは言っているのですね。

 

そして、興味深かったのがこちらのコメントです。

 

news.nifty.com

 

要はそのような場面を経験しにくくなっているから、若手芸人は大変だろう、という意見ですね。

人が驚いたり、嫌だと思う場面を通じて、芸人は磨かれる、ということでしょう。

 

これはどの立場からみるかで意見は分裂しそうです。

 

一つは「他者の感情」を商売にするのが適切なのか?

という観点はあるかと思います。

 

もう一つが、「ネガティブな場面を通じて磨かれることはなんなのか?」

という観点もあろうかと。

 

「昔は接待の場面でこんなことして・・・」

など武勇伝的な話も、結局は皆が嫌だろうという場面を切り抜けてきたから語れるわけで、必要悪として存在していた、とも言えるだろうと思います。

 

私も、芸能人の不倫だtたり、おバカな振る舞いニュースを見ても「それが芸の肥やしだろ」と思ってしまいますが、肥やしを知らない世代には通じないのでしょうね。

 

その他にもあると思うのですが、一つ大事な観点は「どんな世界観を持つか」ではないかなと思います。

 

・世界には秩序がある

・世界には秩序はない

 

と捉えるかで、今回の問題も扱いが変わります。

 

今の日本はなんとなく、

 

(誰が作っているかはわからないけれど)世界には秩序がある

 

というスタンスなんではないでしょうか?

 

括弧の中が大事なんですが。

 

そう考えると、ケンコバさんの心情は分かりつつも、おそらくはそのような番組は縮小の方向で進んでいくのだろうと思います。

だって、社会がそちらに向かうのならば、スポンサーがつかなくなりますし。

 

そして、凸凹を失い、また社会がノッペリとしていくでしょう。

 

良いか悪いかは私たち次第。

個人的には「多様性とはなんだろうか?」と思ったりもしますが。

 

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像