“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

あなたは誰の許可を待っているのか?

屋外ではマスクを外していいのでは?

 

www.fnn.jp

 

という情報が出てきだしました。良い傾向です。

このまま弱毒化したままを維持して、のらりくらりと収束をむかえてくれるといいのですが・・・

 

そのような情報と共に、ふと気になっていることがあります。

 

マスク着用については、強制する法律などもない中、「自主規制」にて対応をしていました。それが日本の連帯意識だとも。

 

しかし、その結果、目に見える形でバイオパワー(生権力)、つまりパノプティコンの中に押し込められていたことも痛感します。

 

それと関連するのもかしれない気になる事象もあります。

 

コロナ以降、特に子どもから

 

「●●していい?」

 

と許可取りの問いをもらうことが増えた気がします。

 

例えば、トイレだったり。

 

外出時に突然トイレに消えられても困るので、一声をかけてもらう必要はありますが、許可取りはいりません。

 

「子どもがそのようにするのには、こちらがそのようにするように促している」

 

と考えた方が妥当なので、それは意識して変えていくのですが、学校や外出時の様子を見ていても、そのような許可取りをするよう子が多いように思います。

 

マスクを自然体でしてしまうことと同様に、何か世間の目、それも見えない目を恐れているのでしょうか?

 

この辺り、我が子も含め、観察を強めてみたいと思います。

いや、社会人でも起きているのかもしれませんね。

 

許可取りする人

 

観察してみます。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像