“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

目的とは、言葉で世界を動かすために捏造されたもの

最近、目的という言葉をよく聞きます。


ストレートに目的だけでもなく、パーパスだったり、オブジェクトだったり、ゴールだったり。

英訳すると意味合いは多岐に渡りますね。


目的はとても大事ですね。


なぜか?


構造主義の観点に立てば、言葉の意味は構造が決めます。

構造というと仰々しいですが、前提と考えるとわかりやすいでしょうか。

見える前提、見えない前提で使われた言葉や行動の意味は変わってしまいます。


だから、目的を明らかにせずに言動したところで、それが適切なのかどうかも判断できません。

日本の生産性が低いのも目的を明らかにする力、そして、それに適うように取り組む力が弱いからではと思っています。

それについてはまた別の機会に。


で、目的とは何かな?と探究していました。

言葉でできているから当たり前な話ではありますが、目的には実態がありません。

世界を平和にする!という目的を持ったとして、平和なんてものは物理的にはないわけです。「あー平和だなー」と思う人がいて、なんとなくそう感じられる状態が平和なわけです。


ということは、言ったもん勝ちでもあります。

思っていようと、思ってなかろうと、目的は立てられます。

言葉を並べるだけですから。


お客様に貢献する!

と言いつつ、暴利を貪る企業もたくさんありますよね。


では、目的には意味なんてないのか?


そんなこともないと思います。


まず、方向性を持たせることはできます。


「目的地を持たない船の航行が順調かどうかわからない」


という言葉もあるように、方向性となる目的がなければ、取り組みが進んでいるのかどうかすらわかりませんよね。


そして、もう一つの機能して、「感情を刺激し行動を促す」があります。


例えば、ダイエットしたい人がいて、その目的が、

「自分の健康のため」

なのか

「家族と明るい未来を築くため」

なのか

で、心の動きは違いますよね。


「お父さん、家族の明るい未来のため、ダイエットを頑張っちゃうぞ!」

となりうるわけです。


そのとき、目的を表現する言葉は本人の感情を刺激するものがいいし、その刺激が足りなければ、違う言葉に変えてもいいわけです。


要は、目的が達せられるために目的は「捏造」していい

ということです

だって、正解はないのですから。

そして、強いて言えば、


「人が動き、目的が達せられること」


が、正解ですから。


目的は変えてはいけない、なんて後生大事に抱え込んで、その結果、人も何も動いていないケースはザラにあります。

目的の形骸化ですね。


目的は普遍ではなく、変化するもの

目的の目的はそれを成すため


それが前提であり、機能させる方法です。


目的を柔軟に捏造しながら、世界を動かしていきましょう!


mohamed HassanによるPixabayからの画像