“てらぽん”の西洋哲学と日常を重ねてみる探究日記

西洋哲学の視座から日常を眺めると何が見えてくるか?を探究した記録です。

過去が断罪されていく時代に


佐藤優さんのベストセラー「国家の罠」の中で、担当していた検事の話として、政治犯が摘発されるのは世間の合法・違法のハードルが下がった結果、という話があります。

 

まさにドゥルーズの「社会公理系」、の話になってくるのですが、ふと見ていた記事でも、ここまで来たのかと驚いた記事がありました。

 

それがこちらです。

 

端的には、社会的地位のある方達の集まりで、コンパニオンの女性を呼び、本人たちの予期せぬ行為を強制されて、被害届を出されて、逮捕された。

 

と言うことですね。

 

これはこれで、そうですか・・・

と言う記事なのですが、哲学的観点から見たときに、この記事を見て戦々恐々としている方も多いのではないか、と思われます。

 

表に裏に、似たような場面が多いのではないかと思います。

スーパーコン●ニオンなる業を旅館などでも案内(受け入れ?)されているからですね。

 

利用される方としてはお金を払ったので合法と思ったら、何か相互のやり取りで行き違いがあった結果、逮捕されるリスクを孕んでいる・・・そのようにも見える記事です。

 

今回、事件化されるぐらいなので、もっとえげつないやりとりがあったのではないかと思うのですが、この先に透けて見えるのは、「社会浄化」のような流れです。

これは、一つの大きな流れでさる「多様性」とも関連してくるでしょう。

つまるところ、「男性目線」で作られた様々な文化は、断罪される可能性がより増している、と言うことです。

 

極端な話、女性にお茶出しを強要させたら、それで訴えられる可能性も出てくるような極端な方向に向かっている、と言うことですね。

 

現代の「社会公理系」はその方向に進んでいる。

そのように認識していた方が無難だろうと思います。

 

そんな卑猥で猥褻な文化なんて、なくていいじゃん!

 

と思われるかもしれませんが、光強ければ、闇もまた深し。

思わぬ影響が出てくる可能性が高まります。

それが身近で起きるかもしれません。

 

自分のやっている、やろうとしていることは老若男女から見て、どう見えるのか?

 

と言う観点は少なくとも持っていた方がよさそうです。

 

瑣末なニュースからも考えさせられますね。

気をつけましょう。

 

Klaus HausmannによるPixabayからの画像